『マッターホルン』読書

ボードゲームマッターホルン』のルール冒頭には、たくさん固有名詞が登場します。"標高4478メートル"、”山頂にはスイスとイタリアの国境”、"トブラローネ"、"1865年7月14日登頂に成功"、"ツェルマット"、"1880年に建てられたヘルンリ小屋"・・・など。
色々ありそうな予感がしたので、マッターホルン関連の本をいくつか読んでみました。


▼トブラローネ・チョコレート。『マッターホルン最前線』の写真と並べて。
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ウィンパー『アルプス登攀記』講談社学術文庫 (1329):1865年にマッターホルンを制覇したエドワード・ウィンパーによる、アルプス山行の記録です。木版画家だったウィンパーは版画制作のために初めてアルプスを訪れ、やがて未踏のマッターホルン制覇を目指すようになります。本書のラスト「マッターホルン初登攀」と「下山」は圧巻、でも読後は物悲しい諸行無常な感じになります。

ラウバー『マッターホルン最前線 ヘルンリ小屋の日々と山岳レスキュー』東京新聞出版局 (2015):ヘルンリ小屋は、マッターホルン登山のベースキャンプやハイキングコースのゴールとして、多くの人が訪れる建物です。著者はヘルンリ小屋の管理人さんで、国際山岳ガイドとしてお客と一緒に登攀することもあれば、世界屈指の山岳救助隊の副隊長さんとしてレスキュー業務に携わる人でもあります。ヘルンリ小屋を舞台に、様々な人や自然現象、遭難事故への対応・日常の備えなど、山に関わる色んなエピソードを楽しく読むことができます。

近藤 等『アルプスを描いた画家たち』東京新聞出版部 (1980):アルプス登山の経験豊かな著者が、アルプスとヨーロッパ絵画の関連を論じた本です。山岳風景画に注目して、西洋美術史を追っています。


以下、内容をいろいろ紹介します。

画家ウィンパーの観察眼

エドワード・ウィンパーが初登頂に使用したルートは、スイス側・北東山陵から取り付くルート(ヘルンリ陵ルート)でした。それまで、誰もがイタリア側・南西山陵から取り付いて(そして登頂を断念して)いたのに、ウィンパーはなぜこのルートを採用したのでしょう。『アルプス登攀記』では、第14章にルートの説明があります。

東壁の見かけにひどくだまされていることがわかった ― 見た目にはほぼ垂直のようだが、実際にはたかだか四十度の傾斜しかないのだ。

ウィンパーは東壁には雪が残っている、すなわち東壁は斜面が急ではないことに気が付きます。さらに、岩の構造について推論・観察し、東壁こそ登攀にやさしいルートが見つかると確信を持ったのです。

『アルプスを描いた画家たち』では、ウィンパーの挿絵について「写真のように正確に描写されているが」「イラストであり、職人芸」と評されています。しかし、その正確な描写のための観察眼があればこそ、ヘルンリ陵ルートは拓かれたのだろうと思います。

登攀を支援する人と、それでも危険な山

ウィンパーが拓いたルートは、現在でもマッターホルン登攀で一番利用されるルートです。しかも1865年とは違い、現代では支援してくれる人や設備があります。

マッターホルンはほとんどの人がクラシックルートのヘルンリ陵を登っていくが、クライミングの難所には固定ザイルを設置してリスクを和らげ、安全性を保っている。直径三センチのこのロープは、十メートルから二十メートル毎に、太い鉄のピンでとめてある。

マッターホルン最前線』を読むと、多くの人たちが安全性への気配りをしてくれていることが分かります。しかし同時に、そこまで気配りが必要なほど危険な場所だということも感じます(直径三センチのロープなんて、たぶん私は一生使う機会がないだろうな、とか)。
ボードゲームの『マッターホルン』では、障害コマが4つあり「落石・雪崩・氷壁?・道迷い」かなと思いますが、『アルプス登攀記』や『マッターホルン最前線』では他にも雷・暴風・転落・食中毒や装備の不足による遭難エピソードもあります。危険いっぱい。
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ちなみに、『アルプス登攀記』によると、滑落時は「麻酔をかけられた患者のように、まったく痛みを感じない」そうです。ウィンパーは単独山行で60メートルを7、8回バウンドして落ちたものの、自力でふもとの村まで帰りついています。きっと運が良かったんですね。。

山への興味、その変遷

『アルプス登攀記』や『マッターホルン最前線』は登山家たちのアツい物語なのですが、もっとロングスパンで眺める『アルプスを描いた画家たち』を読むと、ヨーロッパの人たちの山に対する興味の変遷を知ることができます。『アルプスを描いた画家たち』では山の絵を次の5つに分けており、この分類の並び=時代の並び順になっています。

  1. 宗教画や肖像画の背景に山が描かれている絵
  2. 「山のある風景」画
  3. 18世紀以降のスイスで描かれた「山岳風景画」
  4. 山の頂部だけを人物の半身像のように描いた「山の肖像画
  5. 山の描写ではなく、画家の表現意欲を満たす対象として山が選ばれた絵(ポップアート等)

「山岳風景画」・「山の肖像画」へ至る時代を、著者は以下のように書いています。

科学者と作家によるアルプスの発見、つづいてスイスを観光旅行に訪れる人たちの急激な増加、アルプスの最高峰モン・ブランの初登頂にはじまるアルプス登山のはじまりといった時代的な影響を受けて、山は風景画の中に重要な地位を占めるようになり、アルプスを中心とした本格的な山岳風景画・山の肖像画が誕生することになる。

続く時代については、以下のとおり。

二十世紀に入り、交通の発達、観光旅行の普及、登山やウィンター・スポーツの大衆化に伴い、アルプスの山々はその昔のように畏敬や憧憬の対象ではなくなり、・・・(略)・・・その神秘性も失われてきた。こうした時代の影響が絵画にもおよんだのは当然のことだ。

18~19世紀のボーボヴィやヴォルフ、ホドラーセガンティーニなど、山岳風景画で活躍した画家たちの紹介や、作品の説明はとても面白いです。こんな風に「山を描いた絵」ばかりまとめて見ることが珍しいですし、芸術家でなく「登山家として見るポイント」についての解説も新鮮でした。


以上です。
最初に感じた、色々ありそうだなという予感が良い感じに的中して良かったです。山も面白いですねー。